二友組遺跡調査部のたずさわった現場が新聞各紙で報道されました。

2007/08/29 二友組遺跡調査部のたずさわった現場が新聞各紙で報道されました。西日本新聞、中日新聞他。

九州最小の銅鐸が出土 福岡・筑紫野市高さ4.5センチ(西日本新聞)2007年8月29日

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福岡県筑紫野市教委は28日、同市立明寺の立明寺地区遺跡で弥生時代後期前半から中葉(2世紀ごろ)の小銅鐸(どうたく)が出土したと発表した。小銅鐸出土は県内8例目、九州では13例目。復元した高さは4.5センチで、九州では最小という。小銅鐸は横幅2.7センチ、厚さ1.7センチの青銅製。台形の下側が欠けており、高さは4.1センチ。国内では、滋賀で1998年に出土した高さ3.4センチの銅鐸に次いで2番目に小さい。文様や飾りはなく、近畿を中心に出土する大型の銅鐸とは別系統とみられる。無紋の小銅鐸は福岡市の板付遺跡などでも出土。溝の底から逆さまで見つかったことから、祭祀(さいし)などに使用され、意図的に埋納された可能性が高いという。同教委は「小銅鐸は出土例がまだ少ない。分布や当時の祭祀を知る上で重要な資料」としている。

「古万古」登り窯跡を発見(中日新聞、朝日新聞)2005年5月12日

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中日新聞(2005年5月12日)
四日市市の伝統工芸品、万古焼のルーツ「古万古」の登り窯跡が、朝日町小向の宅地造成地で見つかったと、朝日町教育委員会が十一日発表した。江戸時代中ごろとみられる古万古窯跡の発見は初めて。京都府宇治市の「朝日焼」の印銘が入った陶器片も出土し、二つの産地の関連から万古焼のルーツ解明も期待される。

朝日新聞(2005年5月12日)
幕末から明治の陶芸家森有節の萬古焼窯跡が見つかった朝日町小向の名谷遺跡近くで、新たに最古とみられる登り窯跡が見つかった。調査している朝日町教育委員会によると、萬古を始めた沼波弄山(1718~1777)が活躍した18世紀中ごろにさかのぼる可能性があり、「萬古焼のルーツをたどる上で画期的」としている。

朝日町小向の名谷遺跡近くで、「古万古」登り窯跡* を発見。

*万古焼のルーツ「古万古」の登り窯跡。万古焼は、桑名の商人沼波弄山(ぬなみ・ろうざん)が十八世紀中ごろ、現在の朝日町で窯を開いたのが始まりです。その後一時断絶しますが、森有節が1832年に復興させます。森有節以前の万古焼は「古万古」と呼ばれ、これまで窯跡は見つかっておりませんでした。今回、発掘された窯跡はこれまでに見つかった窯跡よりさらに一世紀近くもさかのぼる大変貴重な発見です。

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